柴崎神社めぐり


嚴嶋神社

宮島の嚴島神社よりお迎えした神様がいます

 柴崎駅の北側、つつじヶ丘駅との中間辺りに位置するのが嚴嶋神社です。
甲州街道からは北に400メートルほどの参道が続いています。
 創建年代は不詳ですが、社前に清らかな湧水の池があり、農耕や生活に不可欠な水に住民が感謝の念を込め、池のほとりに建て弁財天を祀ったのが始まりと言われています。
 御祭神は『市杵志麻比 命(イチキシマヒメノミコト)』。
弁財天に結びつく神、宗像三姉妹のお一人で、この三神を祀る安芸国宮島の嚴島神社からお迎えしました。
 神社はまた、「経水山」と墨書された木額を所蔵しており、裏書には文政12(1829)年、金子村氏子中と記されています。「経水山」の名は、この弁天池の水で弁慶が大般若経を書写したという伝説に基づくといわれています。

柴崎稲荷神社

嚴嶋神社から150m程西に位置する柴崎稲荷神社。その創建の年代や経緯は不明ですが、かつては「天満宮山王稲荷合社」と呼ばれ、歴史書によると小田原の北条家、江戸時代には徳川家から、再度にわたって社地の保護を受けてきた由緒ある神社なのだそうです。
 御祭神は穀物の神である、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。相殿に大山咋命(山の所有を意味する神様)と、子宝にご利益があるといわれる菅原大神が祀られ、この一帯(旧柴崎村)の鎮守として、五穀豊穣・安産の神として信仰されてきました。
 柴崎稲荷神社では、江戸時代の中期から昭和30年代まで、2月の初丑の日に五穀豊穣を祈願して高盛の飯を食べ合う『大喰講』という神事が行われてきたそうです。残念ながら、現在は行われていません。

八剱神社

柴崎駅の南口を出て、そのまままっすぐ南下した突き当たりにあるのが八剱(やつるぎ)神社です。
 鎌倉幕府の家臣が建武年間(1334〜38)にこの地に在住し、原野を開き一村を形成した功績を村民達が称え、その八名の佩刀(はいとう)を神宝として産土神(うぶすながみ・鎮守の神様)に奉祀したことから、八剱神社と呼ばれると伝えられています。
 御祭神は開村祖先・神霊八座。右相殿の素盞鳴大神(すさのおおかみ)は創建時の御祭神、左相殿には江戸時代後期に大町村の代官だった伊奈半左衛門が、村人の困窮を救済した功績を顕彰してを祀られています。
 八剱神社の御神体は十一面観音像。江戸時代後期の作とされ、仏像の御神体は現在では珍しいものとなっています。

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